苦節十年


ドクタ−・バンブ−、上田弘一郎先生は著書「竹づくし文化孝」に「苦節十年」を

『人生は苦の連続である。どんなに苦しくても、十年も辛抱して努力すれば、道が開け成功もする。』

の意と説明しておられる。
この「節」の語源が竹の節にあるとするなら、それがなぜ苦節十年なのだろうか。
これに、少々科学的な屁理屈を付けてみたい。

まず、「竹はなぜ丸いのか?」を考えてみたい。
竹が丸いのは当たり前と言えばそれまでであるが、それなりの理由がある。
そもそも丸い形を物理的にとらえると、あらゆる圧力に最大限に抵抗し得る無駄のない理想的な形と言える。
一般に、上からの力、つまり圧縮応力を受ける場合、それを受ける面がどんな形であろうと、それを受ける面では、その力は外側に大きく分布する。
例えば、棒状のものに上から力が加わると、棒のある面ではその力は中心から外側に大きくなる。
丸い棒状の断面では外側ほど大きな力が加わるという理屈になる。
したがって、竹が丸く、しかもパイプ状であると言うことは、上からの力が少なく掛かる中心部分を空っぽにして、出来るだけ少ない量の木質部で身体を支えている形なのである。

ところが、竹が生活するためには上からだけでなく、横からの力にも耐えねばならない。
むしろ、横から不規則に掛かる風雪などの力は上からの力よりも強力である。
したがって、竹が単なるパイプ状だけではねじれたり、割れたりして直立出来ない。
そこで存在するのが節である。
この節の存在はパイプを一定間隔に補強する役目になり、その結果あの素晴らしい弾力が生まれるのである。

言うまでもなく、植物は常にその環境に適応して進化してきた。
竹は元来他の樹木と共生して生活する植物である。
だから、もし竹の背が低かったなら、他の背の高い植物に光関係で負け、生き残れないであろう。
そこで、竹類は身体を少ない木質部で背が高くなるパイプ状に、さらに節を付けることによってパイプを粘り強くして生活できるように進化してきた植物と考えられるのである。

こうしてみると、竹にとって節はどのような苦労にも耐えながら生きていくための大切な存在なのであり、これが竹の「生きざま」なのである。
竹にとっても常に苦の連続であり、それを克服してこそ生きられ、生きるための道が開けるのであろう。
竹が風雪に耐え、弓のように湾曲しながらも挫折することなく再び立ち上がってくる姿こそ、まさに人間社会でいう「苦節十年」なのである。
また、「人生の節目」も、あることの岐路に立たされた時の転換期を意味するものであるが、竹にとっても一つの節が壊れたなら折れるかも知れないのである。

「苦節十年」の「十年」は「半永久的」を意味するのかも知れない。
1本の竹の寿命は太いものなら20年以上であるが、その竹が死んだらすべてが終わる訳ではない。
その竹の地下部にはかつて洋傘の柄に使われた竹の根ぶち、つまり「地下茎」があって、竹と連結している。
その地下茎にも「節」があり、その節の部分に芽が付いている。
だから、一本の竹が死んでも地下茎は生き続けていて、芽から新しいタケノコが生まれ、竹となって生き続けるのである。

すなわち、竹の生命は地下に隠されているのであって、地上にある竹は光合成で養分を生成する大切な器官ではあるが、身体の一部分に過ぎないのである。
地上の竹に何か異変が起きた時には、ちゃんと新しいタケノコを生み、竹に育てる仕組みになっているのである。
また、地下茎の寿命も10年ほどではあるが、毎年、新しい地下茎が生まれてきて更新し続ける。
これが竹の生きざまなのである。

私達はその生きざまを確認する作業を行ってきた。
つまり、土の中に走っている地下茎をあくまで追っかけるという土方仕事である。
その土方のお陰で、地下茎の一家族は延長にして百メ−トル以上もあることを知り、また1平方メ−トルの中に8メ−トルもの地下茎が存在していることも知った。

昔から、「地震の時には竹薮に逃げろ。」と言われている。
地下茎は土をしっかり固定させるのに役立つからである。
その歴史をみると、「国史眼」に景行天皇(110年頃)が大和の坂手池に竹を植えさせたとあると言う。
そんな昔にすでに地下茎の力が知られていたのである。
また、ベトナム戦争の枯れ葉作戦で森林が破壊された後、竹が最初に蘇ったことや、インドネシアの山火事の現場で竹が蘇っていたことを実際目にすると、竹の生命力は凄いと驚かされる。

したがって、竹から生まれた「苦節十年」の意義はきわめて大きいといわざるを言えないのである。
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